4月3日(日)に「山の会」で「高尾山トレッキング」が実施されました。32名の参加で、今年は桜の開花が早く高尾は丁度満開でした。最後は新しく開店した高尾温泉でゆっくり入浴して懇親会で交流を深めました。詳しくは本文(5~6頁)をお読みください。(川崎正蔵氏撮影)

山本代表のメッセージ

Dear CHAMP Members and Members to be:

CHAMP 代表 山本儀子(やまもとのりこ)寒暖の差が激しい春でしたが、お元気でお過ごしでしょうか?
桜は早咲きと思ったら雪、初夏のような気候が続くとまた寒い日、今は1ヶ月近くも早いツツジ
の花が咲き乱れています。気候の乱れはなにやら不気味ですね。その上、世界の情勢は自然環境の変則性に負けない程、揺れて不安定です。米・中・ロの3大国が軍拡に向かう今日この頃、人間は戦争の悲惨さを忘れてしまったのか、と心配になります。

でもまだ望みはあります。それは人と人とのつながりです。
私は先週アメリカに仕事で5日間行って来ました。日本に居ながら調査先とか視察先の選択・手配をして実際に現場調査しました。約1ヶ月間の準備期間でしたが、つくづくヒューマン・リレーション人間関係のありがたさを痛感し、感謝しました。アメリカ人はよくRelationshipと言う言葉を使いますが、これは単に関係という意味ではなく、長年の誠意に基づく絆のことなのです。どの業種の人達、特にCEOなどの幹部に会うと彼らが共通して挙げるのは、自分のこれまでの成果はRelationsipのおかげだ、と答えることです。私はこの人間関係とつながりへの思いがある限り、世界は破滅には行かないであろう、と信じています。

さて、本日4月18日水曜日は嬉しいお知らせがあります! 
前号でお知らせしたチャンプ設立20周年記念イベントの一つ、坂 茂講演会の日時などが決定したことです。20周年記念行事のテーマは「防災・災害を生き抜く」です。ご存知のように坂さんは長年世界各地の被災者救済のために仮設住宅の建設などボランティア活動を通して貢献して来た建築家です。マザー・テレサ社会正義賞を受賞されたのもそのような活動が評価されたからです。坂氏の基調講演は「作品づくりと社会貢献の両立」と題して、これまでの被災地救済の経験と知見をより多くの方々分かち合っていただきます。当講演会は慶応義塾大学SFCと日吉・矢上キャンパスの合同一般公開授業として開催、チャンプは特別協賛の形で参画しています。講演会に出席していただくことによって、チャンプ会員皆様のご支援を伝えて下さい。お願い致します。

会場:慶応義塾大学日吉キャンパス 藤原記念ホール(定員500名)入場無料
開催日時:2018年5月21日月曜日 17:30 慶応アーキテクチャ発足ご案内
18:00~19:30 坂茂講演会 19:30~22:30 坂茂氏との懇親会

尚、当講演会の講演内容の採録記事は、日本経済新聞の全国紙・朝刊・見開きで6月下旬に掲載されます。記事掲載費用は、サステイナブル(持続可能)な地球の存続を希求する日本企業にお願いしています(現時点でチャンプ会員守谷 守さんが会長のセイキグループ様が決定、パナソニック様、積水ハイムの積水化学工業・住宅カンパニー様などが検討して下さっています)。
この記事を通して、チャンプの存在と目標を全国の皆様に知っていただくことを目指しています。
20年のチャンプの実績と会員皆様の活動と活動会を普及して、チャンプを広めて参りましょう。

二つ目の行事は、チャンプ本部と隣接ビルにあるシャカラ会場における5月26日(土)のイベントです。チャンプハウス12階のラウンジでは関西・関東チャンプ会員の絵画・陶磁器などの作品展示を致します。本号Page8と同封のチラシをご参照の上、ご家族ご一緒にご参加下さい。
「形のあるものを遺す」行事は、チャンプ・エッセイ集(正式タイトルは後日決定)の発行です。宮尾 賢Newsletter編集長が筆頭幹事で進めて下さっています。
各種行事の今後の進展状況はメールにてご案内申し上げます。
Best wishes,

CHAMP代表 山本儀子Noriko Yamamoto

第73回チャンプ例会 2018年3月10日(土)報告

●山本代表挨拶
例会では長年「アメリカよもやま話」をしているが、昨年の12月7日以来米国に行っていないので、「よもやま話」をするために必須の〈肌で感じた情報〉がないため今回は省略する。
ただ一つ指摘したいのは、米朝首脳会談が実現しそうな現在、日本は確固たる信念をもって対応せねばならないし、子供達に明るい未来を残すためにシニア世代の役割は大きいということだ。  さて今日は、チャンプの会計を5年に亘り献身的に処理してくれた山田伸代さんが交代することになったので、これまでのご尽力に深く感謝する。また今後の会計担当を戸邊美恵子さんが引き受けてくれることになりよろしくお願いしたい。
●山田伸代さんが平成29年の会計報告、川崎正蔵さんが監査報告。
●新入会員の紹介
山岸順子さん、藤沢の呉服屋の店長をやっていたが独立して「着物サロン」開いている。藤沢商工会議所女性会で山本代表と会ってチャンプハウスのラウンジを知り、現在ラウンジで定期的に着物サロン(着物・小物など展示販売)を開催している。4月6日(金)~8日(日)の3日間ここで開催するのでぜひ皆様もご参加下さい。
●お試し参加のゲストを紹介
小澤康弘さん、原田規義氏の紹介、山口県で同郷、我孫子市在住、元保険会社勤務、会計士

●スピーチ 「生きてて良かった」
ゲスト・スピーカー 四本信子さん(日本車いすダンススポーツ連盟創設者)

1993年に「車いすダンス研究会」を設立したが、その会である車椅子の人が私の手を握って「生きてて良かった!本当に良かった」と言ってくれたことが今までの私の活動を支え続けてくれた。
私は競技ダンスを続けていたが1985年の全英選手権を最後に引退し、後輩の指導や審査員をしていた。私と車いすダンスの出会うきっかけは英国でダンス世界チャンピオンのアン・ルイスという女性から「あなたは車いすダンスを見たことある?とても良いしあなたに合うと思う」と言われたことだった。自分に障がいがあるわけでもなく、近親者に障がいがあるわけでもなく、障がい者のために何かをするということにはその当時は全く思いがいたっていなかった。オランダで車いすダンスが盛んであることがわかり帰国の途中にオランダのスタジオを訪問し車いすダンスのレッスンを見学した。素晴しい上級者から初心者までのさまざまなダンスが見られ感銘を受けたが「一緒に踊りましょう」と誘われて車いすに乗って踊ろうとしたら初めてなもので3回も転んでしまいかなり難しいものだということを実感した。何回かオランダで研修を受けたが、ある時車いすダンス協会の会長のポールノエ氏の自宅に招待された。奥様を亡くされていて娘さんと一緒の暮らしで、彼が料理を自分で作ってくれて歓待してくれたが、私は何か手伝わなければ悪いのではとやきもきしているのに家族は「まかしとけばいいのよ」という感じで驚いた。台所も車いす仕様になっているし寝室から浴室へは天井吊りのキャリアでリモコンで行けるようになっているなど当時の日本では考えられないようなバリアフリー住宅だった。車いすでありながら生き生きと暮らし、人間の尊厳が維持されていることに感動した。
そのような経験を通じて日本での車いすダンスの普及を考え始めたのだが、1992年に「在宅障がい者を外に」を合言葉に活動している《火をともしましょう》というグループで車いすダンスを指導してほしいと頼まれて教えることになった。関東一円に呼びかけたところ多くの希望が寄せられ1993年に「車いすダンス研究会」を設立した。しかし、指導も始めたがなかなかうまくゆかず物足りなさを感じていたときにドイツのミュンヘン工科大学のゲートルード博士から「極東地域の車いすダンスの普及を支援したい」という招待があり出かけて行った。そこの障がい者ダンスの講習会では、新体操、ドイツの民族舞踏、競技ダンス、ロックンロール、フリースタイルなどなど多様な上、ミロの絵の中に車いすダンサーを埋め込みライトが当たると踊りだすなどのクリエイティブな演出も豊富で目からうろこだった。これは素晴しい、日本でも本気でやらねば、と思った。
ある時、香川県から一人の少女が電動車いすでダンスを習いたいと連絡してきた。森池舞衣ちゃんという16歳の少女だったが、かなり重い脳性まひで普段は電動車いすに乗っているが頭が持ち上げられず前に倒れている状態で言語障害もあった。お母さんや介護の人が4人も付き添ってきて何とか舞衣ちゃんを元気にしたいと必死だった。電動では踊れないのでダンス用の車いすに何とか移して教えたら少しずつ動けるようになり何とか踊りに見えるところまで漕ぎつけた。それを見たお母さんは感動して泣いてしまった。本人の努力もあり次第に踊れるようになり、ついに23人の団体ツアーでミュンヘンに行き、私と舞衣ちゃんは一緒にワルツを踊り拍手を浴びた。ミュンヘンの公園で舞衣ちゃんが突然話はじめたのは、自分が特別養護学校で「トイレに3時間放置される」などいろいろないじめにあってどんなに苦しかったか、ということだった。私は想像もしなかった話に舞衣ちゃんはどんなに辛かっただろうかと涙がとまらなかった。しかし最後に彼女は「でも今は私は生きてて良かった」と言ったのだった。彼女は今は立派に自立し、一人で買物にも行くし、パソコンも使って香川県で車いすダンスの講習会を企画することも出来るようになった。20歳の誕生日にそれまであまり協力的でなかったご主人が「ここまで舞衣を育ててくれてありがとう」と奥さんに頭を下げたという。
私はダンスしか教えられないが、ダンスが人の本質的な部分を救うこともあるということを知った。人の死に方としてはピンピンコロリが理想だが、私も死ぬまでの人生を「生きてて良かった」といえるようでありたいと思っている。     (文責 中林由行)

関西支部3月例会報告(2018年3月15日)

2018年春の例会が、辻さんと岡田が幹事で3月15日(水)18:00から京都で行われました。会場は鉾町の真中にある「わかしろ」という小料理屋の2階です。小さなお店ですが、美味しい京料理が味わえます。今回は久しぶりに増井さん、浅野さん、疋田さん、そして前回から参加の前田隆彦さんにも参加頂き、9名の会合となりました。
食事の前に恒例の山本代表からのお話しですが、今回はCHAMP設立20周年記念イベントを5月に控え、アメリカよもやま話よりも専らその計画について充分小一時間を費やしての力の入ったご説明は、代表のこのイベントに掛ける思いがひしひしと伝わってくるものでした。坂茂氏講演会の慶応義塾大とのコラボ開催(=特別共催)を日経新聞へ全面広告記事掲載の奮闘話、記念イベント「チャンプ元気!フェス」の計画のプログラム詳細など。関西支部からは何といっても増井さんの総合司会としての参画、他の関西メンバーにはアート作品展への出品参画などを要請されました。アート作品はオークションをして20周年記念行事への寄付金に当ててはどうかという意見が本部で出ているそうですが、さて、売れるような作品を出品できるかが、少々気掛かりの声あり。大前光市氏の車いすダンスは今や全国に知れ渡っていて今から楽しみです。その他、H29年度決算報告、H30年度予算計画の説明、ホームページのサーバーを日本国内に切り替えて、新たに構築しなおすことなどを報告頂きました。
その後、食事に移りながら各参加者近況報告を順に行いました。海外への旅行、国内旅行を楽しむ人、一方で親御さんの介護に当たる人、大病から復帰できた人、海外での仕事のこと、子供のことなど、それぞれの近況報告でしたが病気や体調の話題が多かったのはこの世代のメンバー故でしょうか。最後に記念イベントへの寄付金を募り、集合写真を撮って例会を終えました。
関西では、大阪-神戸-京都の三都ローテーションで開催していますが次回は大阪開催の番。CHAMP20周年記念イベントの後になりますが、幹事を木下支部長にお願いし大阪で、会員のお仕事、例えば長町志穂さんの “街のライトアップ”などの見学を組み合わせて開催してはどうか、という事になりました。その場合長町さんとの日取り調整などをする必要がありますが、木下支部長、辻様、次回宜しくお願い致します。(岡田優 記)

わたしのワンフレーズ(7)

信念の魔術      髙橋嗣雄

私が20代前半の頃「信念の魔術(クロード・M・プリストル著)」という本に出会い、何事も確信をもって行動に移すと思い通りに事が運ぶ確率が高くなるし、失敗したらどうしようと心配しながら望めば失敗の確率が高くなるといった内容でした。要は気持ちの持ちようで信念をもって行動すると自然と体の各部位が無意識のうちにそのように動くものだということです。
当時ボウリングが絶頂期で、狙ったポイント行くよう、「信念の魔術」と唱えてプレーしていたことを思い出します。それから少し経つと高度経済成長と共にゴルフが大ブームとなり私もご多分に漏れず始めました。ここでもよく「信念の魔術」と唱えたものです。右へ行きすぎるとOBだ! 左は池だ! これが入ればパーだ! とかプレシャーのかかる場面でよくこの呪文を唱えたものです。残念ながらいまはゴルフをやっていません。7~8年前マイカーをやめる時不用意にもゴルフバッグをトランクに入れたまま廃車に出してしまったことが後で分かり、それきりになってしまいました。
現在はスポーツ吹き矢にはまり、地元のクラブに加入して週3回やっています。高齢者で退職後の人が大半で、男女が約半々です。全国で6万人弱の会員を擁する日本吹き矢協会がありルールや基本動作、用具まで統一され、等級認定試験や大会も各地で盛んにおこなわれています。
的は中心から同心円で3cm、6cm、9cm、12cm、その外で夫々7点、5点、3点、1点、
0点となっており、吹く位置は的から6m、7m、8m、9m、10mで、等級は夫々2級、1級、
初段、2段、3段以上6段(今年4月から7段新設予定)です。私は現在4段です。
競技者は当然一番高い7点を狙いますが、この時も私は「信念の魔術」の呪文を心に描きやっています。振り返ればほぼ半世紀に亘り「信念の魔術」を唱え、これはまさに私のワンフレーズと言えるでしょう。

「人間万事塞翁が馬」vs「How happy I am !」 山田信子

数号前の「わたしのワンフレーズ」に、増田美智子さんが「・・・塞翁が馬」を書いておられて、大変懐かしく読ませて頂きました。私も今から50年以上前、その言葉は知っていても正しい意味に確信が持てず、格言辞書をひいたことがあるのです。
でも実は、これはとっても悲しい話なのです。当時私には結婚してもいいと思っていた男性がいました。その彼からある日手紙が。彼は別の女性を選び、それを私に伝えるために手紙をくれたのでした。そして私が絶望しないように「塞翁が馬」を書いて寄越したのです! その意味を格言辞書で調べるなんて、まあ、惨めな若き日の私!! まるで漫画ですね。でもその意味は骨の髄までしみ込みましたから、それ以降何か辛いことがある度に私はその言葉を思い出し、確かに何度も救われたものです。
その後私は今は亡き夫とめぐり逢い、結婚しました。その夫は事あるごとににっこり笑って、「How happy I am!」と言う人でした。可愛い子供が生まれたなんていうのは勿論のこと、ほとんど満車のパーキングでこれはダメかと思った瞬間丁度一台出ていった、とか。ひっくり返りそうになったグラスが倒れなかった、とか。もう、何から何まで「How happy!」 子供たちが最初に覚えた英語は多分これだったでしょう。
さて、良いことがあっても「塞翁が馬」で、今後どうなるかわからないからと喜ばない聡明な人と、転がった箸がテーブルから落ちなければ「How happy I am!」と喜ぶ能天気な人と、私はどちらの人と結婚したほうがより幸せだったのでしょうか???

活動グループからの報告

●スケッチ散策会

スケッチ散策会 辻 嘉和

ひときわ厳しかった今年の冬が遠ざかるとともに、急に暖かい春が到来。寒気の間は休会としていたスケッチ散策会を3月26日に再開しました。例年より1週間から10日程早く桜が満開となり、この日も長閑な春の日差しを受けて絶好のスケッチ日和の中、京都の浄土真宗本山、西本願寺の隣にある龍谷大学旧校舎を描くことにしました。この建物は浄土真宗の教学を研究する学舎として、明治12年に竣工し、現在国の重要文化財に指定され、古き良き時代の気品あるたたずまいを呈しています。それにより多くの映画の舞台ともなっている建物であり、スケッチの題材としても格好の建物です。この日は学内も春休みの時期であり、行き交う人も少なく、ゆっくりとスケッチができ、いつもの3名のメンバー(加納、岡田、辻)が2時間強絵画制作に取り組んだ次第です。

● 山の会

人気の高尾山に登ってきました      戸邉美恵子

4月3日(火)京王線高尾山口に集合。参加者32名。
好天に恵まれ、天気予報では夏日と言っていましたが、空気は爽やか、
満開の桜(2度目のお花見で得した気分)、目にしみる新緑、もうこれだけで満足でした。
子どもからシニアまで楽しめるし、ミシュランガイド最高の三ツ星に選出されたのが納得でした。
平日なのに人が多く外国人も多く、土日は歩くのも大変なのではと思いました。
木村隊長の号令で準備体操をした後、日本一の急勾配(31度)のケーブルカーに乗り高尾山駅で下車し、599Мの山頂をめざしてスタートしました。
根がまるでタコの足のように曲がりくねった大きなタコ杉を通り、真言宗智山派の三大本山の
一つの薬王院でお参りし、新緑の中を歩いて山頂に到着しました。
楽しいランチタイムには、木村さんや幹事さんが作ってくれた美味しい味噌汁のおもてなしで
心がほっこり!!
記念写真の後、下山開始です。木村隊長がアレンジして下さった人通りの少ないコースで
吊り橋を渡ったり、琵琶滝、水行道場を通ったり、根っこがはった坂道を滑らぬよう、
転ばぬよう、ゆっくり降り全員無事下山しました。
途中大自然の宝庫の植物を中林さんに教えて頂き、メモを必死にとりました。(笑)
感激したのは、6~7年に一度大量の花をつけるブナの花が見られたことです。
他にもシュンラン、モミジイチゴ、淡黄色のアブラチャン、ネコの目草、瑠璃色のヤマルリソウ
耳型天南星、葉が細くギザギザしているエイザンスミレなどなど沢山咲いていて春の恵みを
満喫した山歩きでした。
下山後は駅のすぐ横にある極楽湯で汗を流し疲れた足をマッサージしながら、こんな所にも
外国人!とジャパニーズカルチャーがすんなり受け入れられている事にびっくりしました。
温泉のあと楽しい懇親会をしてから解散しました。
帰宅して、山郷さんに教えて頂いて買って来た高尾山限定の天狗黒豆まんじゅうを美味しく
いただき、疲れが吹っ飛びました。
今回も木村さんの周到な計画なしには、楽しい安全な登山は出来ないと改めて思いました。
私にとって木村さんは、五つ星隊長です。有難うございました。

東京のスポット 高尾山(599m)ハイキング   森田宏次

古くから修験者の霊山とされてきた八王子郊外にある高尾山は同じ東京都下の自宅から10km程度の近い山であるが灯台もと暗しで歩くのはゴルフ場ばかり、何と高校二年生以来、60年ぶりの高尾山。今回は普段は出不精の女房も参加させていただきました。
このところ山歩きの人気と都心から近いということで年間300万人のすごい人出とは聞いていたが予想通り平日にもかかわらず大賑わいで、外国人の多さも感じた。
4月初めとしては暖かいむしろ汗ばむような絶好の山歩きの日、最近では少し多い32名の善男善女が京王線高尾山口駅に集合。私は4つのグループの最後尾のサブリーダーのお役目(といっても常識ある大人の集団、特別することはなし)。少し歩いて清滝駅よりケーブルカーに乗って
いよいよ始まり。途中、すごい急勾配で身体が後ろへもっていかれたところがあり(ケーブルカーでは日本一の急勾配で斜度31度18分とのこと)。
ケーブルカーを下りて薬王院までかなり続く石畳は登山道というより参道のおもむき(この石畳は都電の軌道に使われていた石だそうですよ)。この薬王院はNHKの番組だったと思うが「屋根裏が多くのムササビの住居になっており杉の大木が多い高尾山はムササビの天国である」ということを思い出し、おもわず屋根裏の方を見上げた。しばらく歩き山頂に到着。山頂は結構広い台地になっており、多くの登山者の中でも全員がうまく休憩場所を見つけ、恒例の“味噌汁サービス”に舌鼓を打ちながらお昼をいただいた。残念だったのは少し歩いたところにある同じ山頂の「大見晴台」より晴れていれば見えるという富士山が春霞のような状態で見えなかったことである。
帰りは少し下って山小屋風の売店と思いきや何と日本トイレ大賞も取ったこともあるという2階建てのトイレの横より4号路を下った(この山にはいくつものルートがあるとのこと)。途中かなりの勾配もあり“山を歩いた”という感じがあり。何人かの人は安全のため杖を持っておられましたが正解だったと思います。下りながら植物に詳しい中林さんや松村さんの説明を聞きながら高雄山は「植物の楽園」であることを認識(折角、多くの花の名前を聞きましたが我が家にもあるシャガや二輪草、すみれ以外は覚えていません。すみません!)。途中、ケーブルカー駅への分岐点で何人かの人がケーブルの方へ行かれたそうだが一番後方の為、確認していません。
やがて南側に時々お世話になっている中央道と圏央道のインターチェンジ全体が見えて何か嬉しくなった。やがて沢にかかる吊り橋を渡る。高さはそうでもないが谷の上なので解放感があり。
しばらくすると修験者の琵琶滝、水行道場に到着。一服し、記念写真。しばらく下って全員無事京王高尾山温泉「極楽湯」に到着しました。
残念ながら私たち二人はヤボ用があるため、立ち寄らないで先に失礼しました。皆さんゆっくり休憩&入浴されたと思います。
今回もいつものこととはいえ、リーダーの木村さんの高齢者集団を考えての無理のないルート選びなど行届いた配慮のお蔭で思い出に残る、充実した、楽しい山歩きでした。
参加者も春の高尾山を堪能されたことと思います。有難うございました。

● 投資クラブ

アベノミクスに笑いトランプノミクスに泣く   宮尾賢

久し振りで投資クラブの近況をお伝えしようとキーボードに向かってすぐにひらめいたのが
標題のフレーズです。ご承知の通り安倍政権発足時に“第一の矢、異次元の金融緩和、第二の矢、機動的な財政出動” という積極的な脱デフレ政策が功を奏し、株式市場は勢いを取り戻しました。
ささやかな金額で株式投資を勉強している我が投資クラブも長い低迷から抜け出し、ようやく僅かながら成果をあげつつありました。
そこへ降ってわいたように出現したのがアメリカの新大統領、ドナルド・トランプさん。変幻自在、千変万化、朝令暮改・・・とにかくアメリカ国民はもとより世界中が僅か数十文字のツイートに右往左往、一喜一憂しています。お蔭で株式市場ももろに影響を受けて、上下に大きな変動が続いて不安定な相場です。
トランプさんはご自分が大統領就任以来の景気の上昇、雇用の創出を声高に繰返しツイートされますが、われわれ日本の零細投資家はきりきり舞いをさせられているのをご存知でしょうか。中国の民衆は「上に政策あれば、下に対策あり」と共産党政府に対抗しているようです。
されば我が投資クラブも今こそ知恵の出しどころ、トランプノミクスを逆手に取って何とか成果を上げるべく頑張っている今日この頃です。

編集後記

今年は桜の開花が平年より7日~10も日早いという異常気象で各地の桜イベントは受難の年だったようだ。桜目当ての外国人観光客も増加しているので企画した旅行社も苦労したことだろう。思い出してみれば私も数年前、岐阜県にある樹齢1500年といわれるエドヒガンザクラ「薄墨桜(うすずみざくら)」が見たくて例年の満開時期をはかってホテルを予約したがいざ行ってみると全く咲いてなかったという経験をしたことがある。桜(主として山桜)というのは昔から日本人にとって格別な存在であったが江戸末期に「ソメイヨシノ」が開発されてからさらに桜は特別な存在になったようだ。「敷島の大和心を人問わば朝日ににほう山桜花」(本居宣長)は戦前は軍国主義に利用された面もあったが、桜を愛でる日本人の心を世界に発信して平和につなげてゆきたいものである。(中林記)